歌うサッカーの会

ロックとサッカーが大好き。サポーター感覚の選挙ゴロの48のおっさんの戯言

社会の狭間の矛盾で苦しむ

伊勢崎賢治さんのコラムに引っかかった言葉がある。
「法の空白」という言葉である。

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51870

 

今から言及することは「改憲と関係ない話だからそんな痴話話をするな」とパヨクから断罪されそうだけど、この「法の空白」という言葉から、今自分が思っていることを書いてみる。

 

自分は日頃からタバコの吸い殻拾いとゴミ拾いをライフワークでやってる。

この「社会の空白」であり、スキマという部分に対して目線を落とすことなく取り残され、誰も手をつけずに放置されたままの枯れ葉が道路沿いに塊で放置してある状態を散々見てきた。

それが自分は放置できなくてボランティアで清掃活動をしている。

みんな自分の家の前や会社の前なら掃除をするが、そこから一歩でも外れた場所であり、隙間や空白部分には誰も目につくことなく放置されたまま。

下手すると 夏場までそのまま枯れ葉が放置という場所だってある。
逆に色々とお節介が過ぎると怒り出す人たちだっている。

また、A型やB型の就労支援施設の在り方だってそうだ。これらの就労支援は一般就労へのつなぎの場である。それも正社員が前提でシステムとして成り立っている。
それがどうだ。

今や非正規雇用が4割を越え、正社員として一般就労で働くことなんて夢物語に過ぎない。さらに言うなら障害者枠でそれを叶えることさえ困難だろう。

だから、就労支援施設で何年もいる人たちを疑似うつで半年通った自分でさえも見てきた。

ちなみに障害者手帳生活保護もなかったので、お金がなくて泣きそうだった。

まさにこれも制度の隙間に堕ちて生活に苦しんだ絵面そのものだ。

 

今の日本人は関心の半径があまりにも小さい。
その隙間にあり堕ちている「矛盾」や「ほころび」をこれでもかと感じている。

そんな今の日本人の感覚で無関心なままで、改憲が行われることに非常に怒りを覚える。

 

 

改憲についての問題点についてはリンク先の伊勢崎さんのコラムを見て欲しいです。